倉持裕一 YUICHI KURAMOCHI

WEBメディア「ONESTORY」編集長。そのほか、企業が展開する会員誌やオウンドメディアのディレクション、展覧会や店舗のプロデュース、施設やイベントのコンセプトメイキング、アートワークなど、既存の編集概念にとらわれず、多岐にわたり活動。主には、俳優・永瀬正敏氏の「impress」(写真展)、映画監督・中野裕之氏の「TOKYO “PEACE” TREASURE ISLAND」(映像作品)、フラワーアーティスト・東 信氏の「式 -SHIKI」(米 発刊作品)、元サッカー日本代表選手・中田英寿氏の「N」(欧米・亜 発刊作品)など。

僕が山本文弥さんと舞さんのご夫婦にお会いしたのは、2020年の秋だったと思う。とある仕事において、山本ご夫妻が暮らす長野県の「奈良井宿」に訪れた時だった。

「奈良井宿」は、「木曽の大橋」のかかる「奈良井川」沿いを約1kmにわたって形成している日本最長の宿場町。この町の特性などを伺うために自宅に招いていただいたのだが、その住処がとても素晴らしく、美しいモノとコトを愛しているふたりだということは容易に想像できた。それもそのはず。ふたりは、もともと東京でクリエイティブな表現に従事していたのだ。文弥さんは花道家、舞さんはデザイナー。しかし、素朴な疑問が浮かぶ。なぜ「奈良井宿」に……。

それから数年。「wakamatsu」という1日1組の宿を始めるという知らせを受けた。ホームページを見るだけで、「wakamatsu」が独自の世界を形成していることを理解するのは難しくなかった。あのふたりが営むのだから、当然といえば当然だろう。しかし、今振り返れば、当時の僕は、「つもり」現象にかかってしまったのだ。

現代におけるインターネットやテクノロジーの進化によって、検索すれば写真を見ることができ、詳細も知ることができる。買い物ですら、ボタンをクリックすれば翌日に品が届くこともある。以前は、手足を使い、時間をかけて得たものが、今では時間をかけず、一足飛びに得られてしまう。いつしか時短や効率が美徳とされ、画面上で情報を得るだけで「知ったつもり」「行ったつもり」「食べたつもり」という、「つもり」現象も起こってしまう。現代病のひとつかもしれない。

実は、「奈良井宿」の近隣、塩尻と安曇野には畑のお手伝いに毎年足を運んでいる。その度、「wakamatsu」のことは、常に頭の片隅にあったにも関わらず、滞在の機会を逸してしまっていた。そして、僕は文弥さんに連絡を取り、ついに予約を入れた。

百聞は一見にしかず。「つもり」現象で得た情報は、一気に崩壊した。天井の明かりとりから差す光は、空間の全てを照らさず、闇と混在し、創造力を掻き立てる。必要以上に手を施さなかった建物の修復具合も絶妙だ。不思議なデザインの調度品や装飾は、以前からこの建物にあったものだと言う。時空を超えたそれらとの邂逅は、旅の高揚を静かに誘う。

今回は、あえて、ひとり旅を選んだ。そのせいか、文弥さんと長く語り合えた。仕事の旅ではなく、個人の旅ということも作用しているのかもしれない。食事においては、舞さんが作ってくださるのだが、居住と台所が暖簾で仕切られているため、コトコト、トントン、グツグツなど、心地良い音が聞こえてくる。宿だが家のようなそこは、山本家の離れのような存在なのかもしれない。そして、運ばれてくる料理は、感動の連続だった。

決して過度な演出はなくとも、丁寧な仕込みや手間暇がかけられていることが伝わる。精進料理をベースにと言うも、質素な感じや物足りなさはない。動物性の食材を使用せずとも、ここまで美味しくできるのかと、ただただ感心が止まらなかった。味付けは極めて繊細。ゆえに、舌も敏感に研ぎ澄まされ、能動的に奥深く味を探る感覚が芽生える。食材の野生とも言うべきか、優しさの中に力強さがある。

夕食のお鍋もしかり、朝食のメインディッシュにおいては、舞さんの美意識が全開。コゴミの味噌和え、ワラビの精進お浸し、スンキの山椒オイル漬け、土に見立てたキノコのフレーク、奈良井の水で作ったゼリーなどを並べたひと皿は、まさに山の循環や命の営みが描かれた生態系のよう。

京都を拠点に新しい食の在り方を表現する「neutral」が料理の監修を担うと聞くが、おそらく今は、すでに舞さんの料理になっているように感じる。なぜなら、食材のルーツや料理の思いを自らの体験を通して話す言葉に芯を感じるからだ。山菜もわざわざ山に入って摘んでいるそうだ。舞さんは、プロの料理人ではない。しかし、プロには出せない料理が「wakamatsu」にあることは間違いない。

前述、一足飛びや時短、効率の概念は、「wakamatsu」にはない。食材や料理は正しい時間をかけて育ち、作られている。町においても、灯りが少ないゆえ、上る朝日や朱に染まる夕焼け、月明かりや星空を際立たせる。全てにおいて、正しく時間が流れているのだ。

「wakamatsu」での滞在中、以前、地元の方から伺ったあることを思い出した。「奈良井宿」からほど近くにある「楢川小学校」に飾られている「山中に学ぶ」という書のことだ。「wakamatsu」は、まさに「山中に学ぶ」ことから生まれた場所なのかもしれない。

この地域は、山に囲まれ、海はない。厳冬によって発酵文化は生まれ、知恵と工夫を凝らし、山とともに生きてきた。「wakamatsu」もまた、空間、料理、モノ、コト、全てが必然の共存を果たしている。その中には、もちろん、山本ご夫妻の存在も含まれている。

近年、にわかに流行と化した二拠点生活ではなく、ここにはまぎれもない山本ご夫妻の生活がある。憧れを抱くも、当人たちからすれば、そんなに甘くないと言うに違いない。余所者の洗礼、余所者の覚悟。それらは、小さな町であればあるほど、難しい件もあるだろう。しかし、余所者だからできることもある。なぜなら、「奈良井宿」をこれほどまでに美しく表現できる人は、山本ご夫妻以外にはいないと思うから。

「wakamatsu」で過ごした時間は、あるもので暮らすことの豊かさを教えてくれた。生きることの豊かさを教えてくれた。

昨今、主語がすり代るような体験や表現が蔓延るも、「wakamatsu」においてそれはない。当然、山本ご夫妻に変わる人もいない。

冒頭、「なぜ奈良井宿に……」の解は、働くことではなく、生きるために必要な大切な何かをこの町から山本ご夫妻は感じたのではないかと推測する。だが、その真意は、すぐに理解できないとも思う。そもそも、移住者ではない僕に理解などできるのだろうか。山本ご夫妻の人生における大きな決断を、そう易々と理解しようと思うこと自体が間違っているのかもしれない。

だからではないが、またゆっくり会いにいきたい。なぜなら、山本ご夫妻は、僕にとって大事な友人になったから。

wakamatsu

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