最高峰クラスにフェラーリが復帰
近年もフェラーリはルマン24時間に継続して挑んできたが、彼らが選んだのはレース用に改造した市販車で戦うGTクラス(厳密にはLM GTEクラス)。ここでも激戦が繰り広げられているのはもちろんだが、当然のことながらレース専用に作られたハイパーカーの敵ではなく、総合優勝は望めない。
しかし、フェラーリは今年のルマンに向けて499Pという名のレース専用マシンを新たに開発。これでハイパーカー・クラスに挑み、伝統ある耐久レースの“いただき”を目指したのだ。
フェラーリが例年にない体制でルマンに挑んだのにはワケがあった。
ルマン24時間は1923年が初開催。つまり、今年はその記念すべき100周年にあたる。このためヨーロッパを始めとする世界各国でルマンの注目度が急上昇。決勝日の入場券はなんと1月に売れ切れてしまうという盛り上がりを見せていた。ちなみに、実際に会場を訪れた観客の数は史上最高となる32万5000人。これは例年の20万人前後を大幅に上回るものだった。
今年のルマンはフェラーリにとっても特別な意味を持っていた。実は、彼らが最後に最高峰クラスに参戦したのは1973年のこと。つまり、今年はそれからちょうど50年目にあたるのだ。「100周年のルマンを、50年振りに復帰したフェラーリが総合優勝を賭けて戦う」 このキャッチーなニュースが世界中を駆け巡ったことも、今年のルマン人気を押し上げる一因となったことは間違いないだろう。
フェラーリ・ツアー・トゥ・ルマン24時間
そんな特別なルマンに向けて、フェラーリはあるイベントを企画した。世界各国のメディア関係者を観戦ツアーに招いたのだが、ただサーキットに行ってレースを眺めるだけでは面白みに欠ける。そこで彼らは、本拠地マラネロからフランス・クレルモンフェランを経てルマンに至るまでのルートを、最新のフェラーリで走り抜けるグランドツーリングを催したのである。
この「フェラーリ・ツアー・トゥ・ルマン24時間」という名のイベントに私も参加してきたので、その模様をご紹介しよう。
招待されたジャーナリストは6月7日の朝8時にマラネロに集合。各人、指定されたモデルに乗り込む。
ここで私にあてがわれたのは、296GTBのスパイダー版にあたる296GTS。まったく新しいV6ツインターボ・エンジンにプラグインハイブリッド・システムを組み合わせた296GTBには国際試乗会を始めとしてこれまで何度もドライブしたことがあるが、296GTSに触れるのはこれが初めて。期待に胸を膨らませて、私はそのコクピットに収まった。
DAY1 トリノからフランスのクレモンフェランまで296GTSで走る
初日のルートはマラネロからイタリア自動車産業の中心地であるトリノ、さらにフランスのリヨンを経てクレルモンフェランに至るまでの、およそ800km。いくら高速道路が主体とはいえ、途中、一般道も含まれていたので走行時間は10時間以上に及んだが、296GTSの乗り心地は296GTB同様快適で、しかも緊張を強いられない操縦性のため、疲れはほとんどたまらない。そして、状況が許せばその圧倒的な動力性能を堪能できる。近年のフェラーリは装備も充実しているしインテリアの作りもぜいたくなので、ロングツーリングでもまったく飽きることがなかったというのが、296GTSの印象だった。
ところで、初日のゴールがフランス西部のクレルモンフェランだったことにも、ちゃんとした理由がある。ここは世界に名だたるタイヤメーカー、ミシュラン発祥の地。いまも少なくない数のフェラーリ・ロードカーがミシュラン・タイヤを履いているが、実はルマンを戦う499Pもミシュラン・タイヤを装着している。そんな、フェラーリと縁の深いミシュランの歴史を振り返り、その最新技術を目の当たりにするというのが、クレルモンフェランを訪れた理由だった。
私自身は何度かクレルモンフェランのミシュランを訪れたことがあるが、目先の利益だけにとらわれることなく、本当に価値ある製品を顧客に提供しようとするその姿勢には、いつも頭が下がる。たとえば、彼らのタイヤは耐久性の点で定評があるが、もしも儲けを優先するならライフの短いタイヤを売ったほうが近道。そうではなく、顧客の利益のためにロングライフのタイヤを作り、結果としてミシュランが選ばれるという構図を作り上げようとする彼らの姿勢は、物づくりに関わるすべての人々にとって学ぶべき点があると思う。
そうした彼らの誠実な姿勢は、ナチス・ドイツ占領下にあった第二次世界大戦中のフランスではタイヤの生産をすべて休止して薪ストーブなどを作っていたことにも表れているし、環境問題が重視されるようになった昨今は「リユース、リサイクル、リデュース(削減)」を柱とするサステナブル活動に熱心に取り組んでいることからも理解できる。
DAY2 ルマンの歓声はもうすぐそこに
クレルモンフェランに到着した翌日は、ラドゥと呼ばれるミシュランの研究施設を訪問したのち、改めてルマンに向けて出発。およそ400kmを走ってルマン近くのシャトーに到着し、そこでディナーを楽しみつつテレビでルマンの予選を観戦するプログラムが組まれていた。
ここで2台のフェラーリ499Pは、最大のライバルと目されるトヨタを破って予選の1位と2位を独占。幸先のいい滑り出しを見せた。もっとも、決勝レースは24時間の長丁場。しかもトヨタはルマンの最高峰クラスで過去5連覇を成し遂げている強豪。「そう簡単に勝てる相手ではない」という思いを胸に秘めながら、土曜日の午後4時にスタートが切られる決勝レースを待った。
案の定、決勝レースは激戦となった。しかも、トヨタだけでなく、同じハイパーカー・クラスに参戦するポルシェ、プジョー、キャデラックも侮りがたいパフォーマンスを発揮し、夜中過ぎまでは5メーカーがくんずほぐれつの激戦を繰り広げた。
しかし、やがてライバルたちは次々と脱落し、実力に勝るトヨタとフェラーリが一騎打ちを繰り広げるようになる。それでも日曜日の昼過ぎまでトヨタとフェラーリは20〜30秒の差で周回を重ねていくが、2番手を走っていたトヨタの1台がブレーキングミスで姿勢を崩すとスピン。これでフェラーリは1分以上のリードを手に入れると、この差を守ったまま午後4時のフィニッシュを迎え、念願の総合優勝を手に入れたのである。
もっとも、フェラーリとしてもこの筋書きを当初から確信していたわけではなく、「久しぶりの挑戦なので、せめて表彰台に上りたい」と考えていたフシがなきにしもあらずだった。それでも、そんな奇跡を軽々と、そして鮮やかに成し遂げてしまうあたりが、フェラーリのフェラーリたる所以なのかもしれない。