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自社開発の独自路線を貫いたトヨタ
トヨタが販売台数で世界一の自動車メーカーになったのは、ランドクルーザーがあったからだ。もしランクルが存在しなければ、日本が自動車大国と呼ばれるのにもう少し時間がかかったかもしれない。
ランドクルーザーがいかに偉大な存在であるかを知るために、ランクルのなかでもヘビーデューティ系のモデルの歴史を振り返ってみたい。
戦中に思うように開発ができなかった国産自動車メーカー各社は、第二次大戦後、技術で大きく遅れをとっていた。そこで日本政府は欧州メーカーと国産メーカーの橋渡し役を務め、ノックダウン生産*注1で技術力を吸収するように働きかけた。(注1:部品を集め現地で組み立て販売を行う生産方式)
日野はルノー公団、日産がオースチン、いすゞがヒルマンと提携して、ノックダウン生産を開始した。興味深いのはトヨタが独自路線にこだわったことで、自社でアメリカ車、主にフォードのテクノロジーや構造の研究を続けた。
初代ランドクルーザーは警察予備隊(後の自衛隊)への納入を目的に、1951年に発表されたトヨタ・ジープBJ型だった。その構造は米国のウィリス・ジープと酷似しており、一説によると、トヨタは大戦中からジープの研究を続けていた可能性もあるという。
「ランクルは壊れない」から「日本車は優秀」へ
終戦から10年の1955年、トヨタは初代トヨペット・クラウンと2代目ランドクルーザー(20系)を発表、1957年よりこの2モデルは北米に輸出されることになった。ところがクラウンの評価は「遅い」「オーバーヒートする」と散々で、トヨタは撤退を決める。その後、クラウンは長らく日本国内専用モデルとなったのはご存知の通り。
いっぽう、ランドクルーザーは信頼性と整備性に優れ、パワーにも余裕があることから好評をもって迎えられた。この時期、トヨタの北米事業は事実上ランドクルーザーの“一本足打法”で、ランクルはドル箱といっても過言ではなかった。
そして、「ランクルは壊れない」という評判は、やがて「日本車は優秀だ」というイメージへとつながっていく。ランクルが存在しなければ、トヨタと日本自動車産業の繁栄はかなり遅れたであろうことは容易に想像できる。
1960年に登場した3代目ランクル、ファンの間では“ヨンマル”の愛称で呼ばれる40型は、アメリカのみならず全世界で活躍した。奥地の工事現場、営林局、ハンターなどなどプロフェッショナルに、「どこへ行っても生きて帰ってこられる」ことを約束する 真の“働くクルマ”だった。
このクルマがどれだけ好評だったのかは、小変更を繰り返しながら1984年まで生産されたことからもわかる。『自動車ガイドブック』によると、1971年時点で最もベーシックな仕様は90万1000円とある。
そして1984年、現在も生産と販売が続けられるランドクルーザー“70”へとバトンはつながれる。“ナナマル”も先代モデルと同様、世界各地の現場で大活躍した。
“ヨンマル”や“ナナマル”が高く評価された理由は、まず信頼性の高さがある。仮に故障しても、世界の端までパーツを供給するネットワークをトヨタは築いていたし、整備性も良好で、特殊な知識や技能がなくてもメインテナンスを施すことができた。
もうひとつ、悪路走破性能が高かったことも、評価された理由だ。この能力を獲得できた理由として、4輪駆動システムとともに、ラダーフレーム構造を採用することがあげられる。
一般に、乗用車はモノコック構造を用いる。イメージとしては卵の殻にタイヤを履かせたような構造で、タイヤが受けたショックはボディ全体に分散されるから、乗り心地が快適になる。
いっぽうラダーフレームとは、梯子(ラダー)の形をした屈強なフレームに、直接サスペンションを取り付ける構造。繰り返し悪路を走行しても衰えない耐久性、岩や轍に乗り上げても大きく動くサスペンションストロークなど、荒れた道を走るのは得意である。そのいっぽうで、路面からの衝撃が一部に集中して乗員に伝わるという弱点がある。
最新のランクル“70”に乗ると、悪路での強さはそのままに、舗装路での快適性もかなり向上している。デビューから40年、ただ作り続けられているのではなく、たゆまぬ改良が続けられているのだろう。
現在のランドクルーザーのラインナップは、以下の3つとなっている。
まずフラッグシップで、最新技術を導入する「The King of 4WD」がランドクルーザー300。生活と実用を支えるという役割を果たすランドクルーザー250。そしてヘビーデューティーを極めたランドクルーザー“70”だ。
1951年から連綿と受け継がれているランドクルーザーのスピリットは、この3モデルが次の時代へつなげるはずだ。
もし野茂英雄がいなかったら、イチローや大谷翔平の活躍はなかったかもしれない。同じように、20系のランクルが存在しなかったら、トヨタと日本の自動車産業の歴史は、大きく姿を変えていたかもしれないのだ。