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頑なに守ること、柔軟に変えたこと
初代ポルシェ911が登場したのが1964年だから、今年で生誕60周年。移り変わりの激しい自動車業界にあって、これほどの長期間にわたってこのクルマが“スポーツカーのメートル原器”という立場を維持してきたのは驚異的だ。
なぜ、ポルシェ911はいつの時代にあっても模範的なスポーツカーとして君臨し、人々の憧れの存在であり続けるのか?
ただし、ポルシェ911は発表されてすぐに現在の地位を得たわけではない。まずは、このクルマが生まれた経緯を紹介しておきたい。
フェルディナント・ポルシェ博士が開発したフォルクスワーゲン(国民車)は、第二次大戦後に本格的に生産をスタートした。ビートルの愛称で親しまれ、タイプⅠとも呼ばれるこのクルマが、ドイツのみならず世界中にモータリゼーションを広げたのはご存知の通り。
そしてポルシェ博士の長男であるフェリー・ポルシェは、フォルクスワーゲンのパーツを活用し、同じくリアエンジンというレイアウトを採用した小型スポーツカー、ポルシェ356を1948年に発表する。
そしてこのポルシェ356を大幅に洗練させ、高性能化したスポーツカー、ポルシェ901が1963年のフランクフルト・モーターショーでお披露目された。けれども、「901」というモデル名はすでにプジョーが登録していたことから、車名はポルシェ911に改められる。
ちなみにデザインを担当したのはフェリーの長男、つまりポルシェ博士の孫にあたるフェルディナント・アレキサンダー・ポルシェ(以下F.Aポルシェ)。彼は後にポルシェ・デザインを立ち上げ、クルマだけでなく時計やカメラなどのプロダクトデザインで成功を収める。 また、エンジンを開発したのはやはりポルシェ博士の孫(長女の長男)にあたるフェルディナント・ピエヒだった。ポルシェ家では、長男にフェルディナントの名前を与えるしきたりがあったのだろう。
デビュー当時のポルシェ911はひとつの問題を抱えていた。
RR(リアエンジン・後輪駆動)というレイアウトは、フロントが軽いことからシャープなコーナリング性能を発揮することができる。いっぽうで、リアが重いことからオーバーステアを誘発することがあり、ドライバーの技量が足りなかったり路面コンディションが滑りやすいと、スピンに至ることも少なくなかった。
したがって、「wrong end(エンジンの位置が間違っている)」と揶揄されることもあったのだ。
ポルシェ911がスポーツカーのベンチマークになった理由のひとつは、エンジニアたちが長い年月をかけて、鋭い操縦性というRRの長所を維持したまま、スピンしやすいというネガを消していったことだろう。ポルシェ911は最初から名車だったわけではなく、エンジニアたちの執念とクラフツマンシップがこのクルマを名車にしたのだ。「角を矯めて牛を殺す」という諺があるけれど、スピンしにくいFR(フロントエンジン後輪駆動)に“転向”していたら、当然ながらポルシェ911も死んでいたはずだ。
こうして、水平対向6気筒エンジンをボディの後部に積むというレイアウトを頑なに守り続けたことで、丸みを帯びた特徴的なフォルムも維持された。スポーツカー好きの少年がやがて大人になったときに、憧れていた“あの911”に乗ることができることも、このクルマが長きにわたって支持される理由だ。
基本的なレイアウトは変わらなかったものの、時代の要請に応じて、柔軟にメカニズムを変更したことも長寿の理由だ。具体的には、燃費や騒音の規制に対応するために、シンボルでもある水平対向エンジンに手を加えてきた。
最大の変化が1997年に登場した996型で、水平対向エンジンの冷却方法を空冷から水冷へと変更した。2015年の991型のマイナーチェンジで、全モデルがターボエンジンに移行したことも、水冷化に続く大きな変化だった。
そして2018年に登場した992型が2024年にマイナーチェンジを受け、このタイミングでついにハイブリッドモデルがラインナップに加わる。興味深いのは、ハイブリッドモデルに「GTS」というスポーティなグレード名を与えたことだ。ポルシェがハイブリッドを単なる環境対応技術とは考えていないことが透けて見える。
では、ポルシェ911GTSが積むハイブリッドシステムがどのようなものか、簡単に説明をしておきたい。
ポルシェのハイブリッドは高性能化の技術
従来の3ℓ水平対向ツインターボエンジンも残されるけれど、GTSのベースとなるエンジンは、新たに設計された排気量3.6ℓの水平対向6気筒エンジンで、こちらはシングルターボとなる。911用のハイブリッドシステムは「T-ハイブリッド」と呼ばれるが、この「T」はターボを意味する。
ハイブリッド用のモーターは、8段PDKトランスミッションの後ろに設置され、そのままエンジンと直結する。この「直結」という部分がポイントで、エンジンを切り離すクラッチが存在しないことから、モーターだけで駆動する、いわゆるEV走行は行わない。
モーターの最高出力は45psで、アイドリングの回転数でも150Nmのトルクを供給するという。ここがポイントで、たとえば軽自動車の0.66ℓエンジンの最大トルクが65Nm程度。つまり、モーターだけで軽自動車2台分のトルクを生み出すことになる。
エンジンには、ある程度まで回転を上げると力を発揮するという特性がある。逆に言うと低回転域は苦手で、「T-ハイブリッド」システムはこの領域をモーターが補ってくれる。したがって、発進から滑らかに、かつ力強く加速することが期待できる。
公表されていて新型カレラGTSのパフォーマンスを見ると、高性能車の性能の指標となる0-100km/h加速は3.0秒、最高速度が312km/h。エンジン車だった従来型がそれぞれ3.4秒と311km/hだから、ハイブリッド化によってパフォーマンスが向上していることがわかる。
つまり、ポルシェが考えるハイブリッドシステムは、環境問題に対応する技術であると同時に、高性能化も実現するテクノロジーであるということだ。考えてみればそれも当然で、2015年からルマン24時間レースを3連覇したポルシェ919に用いたハイブリッド技術を応用しているのだ。
しかもシステム自体をコンパクトにすることで、世界中のスポーツカーファンから愛されてきたフォルムを変えることなく、ハイブリッド化したことは称賛されてしかるべきだろう。
不世出の天才エンジニア、フェルディナント・ポルシェ博士
ポルシェ911のハイブリッド化を語るにあたっては、創始者のフェルディナント・ポルシェ博士にふれないわけにはいかないだろう。その経歴は華麗で、ポルシェ博士を「自動車の歴史で最も偉大な技術者」に推す声も多い。
1923年、ダイムラー・ベンツの技術部長に就任したポルシェ博士は、名作エンジンを次々と発表する。メルセデス・ベンツが高級車ブランドとなる礎を築いたのが、ポルシェ博士なのだ。
そして前述したように、第二次大戦後、ポルシェ博士はフォルクスワーゲン・ビートルを発表、これがポルシェ356、ポルシェ911が生まれるきっかけとなった。
911のエンジン設計を担当した博士の孫にあたるフェルディナント・ピエヒについて付け加えておくと、地味な存在だったアウディをクワトロという独自の4駆技術やWRCの活躍によって高級ブランドに生まれ変わらせ、後にフォルクスワーゲン・グループの総帥にまで登り詰める。
つまりドイツの自動車産業は、遡るとフェルディナント・ポルシェ博士に行き着くわけで、博士がいたからこそドイツが自動車大国になったと言っても過言ではないだろう。
1900年、25歳の若きポルシェ博士は、ウィーンの帝室馬車工房ローナー社に勤務していた。そこで博士が開発したのがエンジンで発電してモーターで駆動する、現在のハイブリッド車の原型とも言えるモデルだった。バッテリー技術が進んでいなかったために実用化されなかったけれど、天才エンジニアはモーターの優位性を早い段階から見抜いていたのだ。
天国のポルシェ博士は、ポルシェ911GTSを見て、我が社のクルマにもようやくとモーターが付いたか、と思っているかもしれない。
ポルシェ911を愛したクリエイターたち
最後に、ポルシェ911を愛した数多くの人々から、2名を紹介したい。
ひとりめはスティーブ・マックイーン。1971年に公開された映画『栄光のル・マン』の冒頭で田舎道を疾走するポルシェ911Sは、彼の愛車そのものだ。
ふたりめが、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン。完璧主義者だったカラヤンは、愛するポルシェにも完璧を求めた。結果として、カレラRS用のボディにレース用サスペンションが組み込まれ、大径ターボチャージーを備えた水平対向6気筒エンジンを積む特別な1台が仕立てられた。
メカニズムだけでなく、特別に許可を取得してボディもマルティニ・レーシング・デザインが採用されている。 成功して経済的に余裕があるだけでなく、アートやモノづくりにこだわる真のクリエイターたちから、ポルシェ911は愛されたのだ。ポルシェ911がスポーツカーの王様になった理由は、スポーツカー愛好家や自動車マニアはもちろん、あらゆるジャンルの一流を知る人々を虜にしたからなのだ。
ポルシェ911カレラGTS
全長×全幅:4553×1852
ホイールベース:2450mm
パワートレイン:3.6ℓ水平対向6気筒ターボ+モーター
システム最高出力:541ps
システム最大トルク:610Nm
トランスミッション:8段AT(PDK)
駆動方式:RR(リアエンジン・リアドライブ)
価格:2254万円万円(税込)
ポルシェ・ジャパン