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MINIの最新モデルを見かける機会も多くなってきた。BMW傘下となってから第4世代にあたる現行のMINIは、3ドアと5ドアのハッチバックのMINIクーパー、SUVスタイルのMINIカントリーマン、そして電気自動車専用のMINIエースマンというラインナップで、これからカブリオレなどのバリエーションを増やしていくはずだ。

洒落たデザインとBMW譲りのパフォーマンスを組み合わせ、電動パワートレインや安全・運転支援機能も充実している新しいMINIは、間違いなくヒットするだろう。

ただし、1959年に発表された初代MINIを知っておくほうが最新のMINIをより深く理解できるはずだ。ここでは便宜的にクラシックMINIと呼ぶけれど、このクルマは自動車史を塗り替えるほどエポックメイキングなモデルだった。

右からMINIカントリーマン、MINIエースマン、MINIクーパーという現行MINI。ラインナップはさらに拡充する予定。

社会が動く時に、名車が生まれた

当初はオースティン・セブンという名称で発表されたクラシックMINIと、設計者のアレック・イシゴニス。1960年にセブンからMINIに改称している。

クラシックMINIをひとことで表現するなら、元祖エコカーである。では、なぜエコカーが必要となったのか? そこには歴史的背景がある。

1956年7月、エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言した。このスエズ動乱をきっかけに第二次中東戦争が勃発、ヨーロッパは深刻な石油不足に見舞われた。ここで、燃費に優れたコンパクトな実用車が必要となったのだ。

時代の要請に応えたのが、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)のエンジニアだったアレック・イシゴニスだった。彼が設計を主導したAD015(クラシックMINIの開発コード)で画期的だったのは、当時、特別な車両にしか使われていなかったFF(フロントエンジン・フロントドライブ=前輪駆動)というレイアウトを開発、実用化したことだった。

FR(フロントエンジン・リアドライブ)は、エンジンの燃焼によって生まれたパワーを後輪に伝えるために、太くて重いプロペラシャフトなどの部品が必要だ。いっぽうFFの場合はエンジンの駆動力をそのまま前輪に伝えるレイアウトだから、部品点数が減る。したがって、車体は軽くなり、室内も広くなるという利点がある。

ただし優秀な等速ジョイントがなかった当時は、技術的な難易度が高く、コストもかさんだために、FFという駆動方式は普及していなかった。イシゴニスとBMCの開発陣はこうした問題をクリアして、FFのコンパクトカーを実現したのだ。

具体的には、排気量848ccのOHV直列4気筒エンジンをボンネットに横向きに搭載したFF車で、10インチのホイールをボディの四隅に配置することで広々とした室内空間を確保することにも成功した。

イシゴニスによる手書きのスケッチ。MINIを開発した功績を称え、彼は後に「サー」の称号を授与されている。

その後、1974年に発表された初代フォルクスワーゲン・ゴルフなど、FFのレイアウトは広く普及し、現在では中小型実用車の多くがこのレイアウトを採用しているのはご存知の通り。クラシックMINIは元祖エコカーであるのと同時に、革命的なコンパクトカーでもあったのだ。このクルマが生まれていなかったら、自動車技術の進化は何十年か遅れていただろう。

小さな車体に大きな可能性を秘めていた

クラシックMINIがデビューから40年以上も愛されたのは、経済性が高かったからだけではない。まず、FFという駆動方式は滑りやすい路面に強く、横風などの悪条件下でも安定して走ったことから、FRとは別種のファン・トゥ・ドライブを提供したのだ。

クラシックMINIのポテンシャルに気づいたひとりが、1959年と1960年に2シーズン連続でF1のコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたジョン・クーパーだった。彼は、クラシックMINIがデビューしてわずか2年後の1961年に、エンジン排気量を997ccに拡大したMINIクーパーを発表している。

クーパーはさらなる高性能化を果たしたMINIクーパーSというモデルを発表、モータースポーツにも打って出た。MINIクーパーSはモンテカルロラリーで3度の優勝を果たすなど、MINIの名前を世界に知らしめた。

優れたハンドリング性能を武器に、1965年のモンテカルロラリーで総合優勝を遂げたMINIクーパーS。

クラシックMINIの製造元はBMCからローバー社へと移り、ローバー社は1994年にBMW傘下となる。そして2001年にBMWが開発した新生MINIが登場する。新生MINIは、「ゴーカート・フィーリング」という言葉で自身の個性を表現したけれど、このスポーティなイメージはクラシックMINIのクーパーSの戦績に裏付けられたものなのだ。

ファッションや音楽にも多大な影響

クラシックMINIを語るうえで外せないのは、イギリスのセレブリティたちに愛されたという事実である。故エリザベス女王も愛用したし、検索するとザ・ビートルズのメンバーとクラシックMINIの写真はいくらでも出てくる。一説によると、ザ・ビートルズがレコーディングに使っていたロンドンのアビー・ロード・スタジオの駐車場が狭かったために、メンバーはクラシックMINIで“通勤”していたともされる。

また、ミニスカートの発案者として知られるイギリスのファッションデザイナー、マリー・クヮントは後に、ミニスカートとは丈の短さではなく、愛車MINIのネーミングに由来していると明かしている。

クラシックMINIがいかにイギリスのカルチャーに影響を与えたのかを示すイベントが、2009年にシルバーストーンサーキットで開催された『MINI United Festival』だった。これはMINIの生誕50周年を祝うイベントで、1万台以上のMINIと、約2万5000人のファンが集まった。

スペシャルゲストとして登場したのが、ミュージシャンのポール・ウェラーと、ザ・ビートルズのギタリストだった故ジョージ・ハリスンの夫人であるオリビア・ハリスン。

ウェラーはMINIの愛用者として知られ、チャリティイベントのために自身がデザインしたオリジナルMINIをオークションに出したこともある。

ジョージ・ハリスンもMINIのファンであることを公言しており、このイベントでは彼がデザインしたサイケデリックなMINIの復刻モデルがオリビア夫人に手渡された。

左が故ジョージ・ハリスンの夫人であるオリビア・ハリスン、右がザ・ジャム、ザ・スタイル・カウンシルを経てソロで活躍するポール・ウェラー。
チャリティオークション用にポール・ウェラーがデザインしたMINI。

ほかにも、世界的なファッションデザイナーであるサー・ポール・スミスが、MINI愛にあふれた特別仕様を手がけるなど、このクルマが英国文化に深く根付いていることを示すエピソードは数多い。

ファッションデザイナーのサー・ポール・スミスが手掛けたポール・スミス・エディション。1998年に発表され、日本市場では1500台限定で販売された。現在も中古車市場で人気が高い。

こうして愛されたクラシックMINIは、2001年にBMW傘下の新生MINIとして生まれ変わる。第4世代の現行MINIも、スポーティで、ファッショナブルで、電動化による環境性能向上に務めている。そして、こうしたMINIの根幹となる部分は、実は1959年から綿々と受け継がれているものなのだ。

クラシックMINIは長年にわたって愛されたモデルだっただけに、BMWがどのような新生MINIを発表するかに注目が集まった。上は1997年のジュネーブショーに出展されたBMW ACV30というコンセプトカー。アヴァンギャルドな造形が話題となったけれど、実際に発表されたのはクラシックMINIの面影を残すデザインだった。

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