007の歴史はそのままクルマの歴史だった
洗練された審美眼の同義語となっているボンドスタイル。ご存知のとおり、ありとあらゆる身の回りのものをカバーするが、今回読者諸兄と一緒に楽しみたいのはクルマ。そう、「ボンドカー」である。
ボンドカーこそは、世の男性たちが憧れた時代時代の最速にして最も美しく、かつラグジュアリーなクルマであり、時代を超えて受け継がれるボンド流エステティクス(美学)の象徴に他ならない。何しろアクション映画にカーチェイスシーンが付き物だとすれば、ボンドが乗り込むボンドカーは多くのシーンにおいて彼が着るタキシードよりも目立つ存在にして、ワルサーPPKよりも生命にかかわる重要な武器とも言えるからだ。
振り返ると、007シリーズが書かれた1950年代は第二次世界大戦からの復興が急速に進み、クルマの性能が飛躍的に向上した時代であった。そして映画が始まった1960年代は、まさにモータースポーツの黄金期。F1世界選手権やル・マン24時間レースなどを舞台に、自動車メーカー各社はまさにしのぎを削る争いを繰り広げ、マシンの性能を飛躍的に進化させた。そして、そこからもたらされるフィードバックを生かしたスポーツカーは、世の男性たちを夢中にさせた。
まだ職人の手仕事がものを言う時代。また今日見るような、自動車業界における国境を跨いだM&Aやコングロマリット化が進む以前の時代であるがゆえに、デザインにも走りにも哲学にも愉快なくらいに個性の幅があった。だからこそ、そうした群雄割拠の状況下でボンドが果たしてどのクルマを選ぶのか(実際には英国秘密情報部によってあてがわれるのだが)にあれほど注目が集まったのだろう。無論、英国贔屓なところは否めないが、ここからは『BOND CARS THE DEFINITIVE HISTORY』のページをめくりながら、歴代のボンドカーを振り返ってみよう。そうそう、ボンドを苦しめる敵側のカーセレクションにも併せてご注目いただきたい。
特別なボンドカー アストンマーティン
ベントレー マークⅣコンバーチブル、トヨタ2000GT、ロータス エスプリ、BMW Z8、etc…。これまでにさまざまなボンドカーがスクリーンを飾ってきたが、今さら言うまでもなく、ボンドの一番の盟友にして007シリーズの名優であり続けた存在はアストンマーティンである。
ボンドカーの代名詞として定着したDB5に加え、数え上げてみればこれまでにDBS、V8、V12ヴァンキッシュ、DB10など、まさにその時々の最新モデルが登場してきた。圧巻なのが最新作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』で、アストンマーティンだけでDB5からV8ヴァンテージサルーン、DBSスーパーレッジェーラ、果てはヴァルハラまで新旧の名モデルが次々と登場し、スクリーンを見つめる我々を魅了する。
それにしても――である。なぜボンドカーはアストンマーティンでなければならなかったのだろうか? 速さで言えば、フェラーリやポルシェでもいいではないか。豪華さで言えば、ベントレーやマセラティもアリだろう。耐久性や汎用性で言えば、同じ英国にはレンジローバーがあるし、日本にもランドクルーザーがあるではないか。あるいはスパイとして目立たないように行動するのであれば、ジャーマンスリーから選んだほうがいいではないか。コストパフォーマンスだって断然優れている。英国車にこだわるのなら、かつてロータスがボンドカーになったこともあったが、ではなぜジャガーではダメなのか?
疑問は果てしなく続き、またもっともらしい理由がすでに多くの評論家たちによって此処彼処で論じられているが、それもまた楽しみではないか。筆者は単純に思う。007シリーズは「男のロマン」であり、大人の男性のためのメルヘンであるのだから、ボンドカーはあくまでもジェームズ・ボンドという癖のあるスノッブな趣味人の、合理性を超越した価値観で選ばれた“こだわりの逸品”でいいではないか、と。
実際、DB5が1964年に公開された映画『007 ゴールドフィンガー』で初めてボンドカーとして登場して以来、我々が常に見せつけられてきたのはアストンマーティンというクルマの懐の深さではなかったろうか。
アストンマーティンに乗ったボンドは、ある時は峠道をタイヤを鳴らして駆け抜け、またある時は美女を隣に乗せて悠々とカジノに乗り付けた。ある時はのどかな田園風景を流し、またある時はヨーロッパの旧市街で美しい風景の一部となった。ステアリングを握るボンドのスタイルもニットだったり、スーツだったり、タキシードだったり。だがそれはいつも、見紛うことなきアストンマーティンであり、ボンドカーであった。時代を超えても決して古びることのない普遍性とも相まって、アストンマーティンはなるべくしてボンドカーの代名詞となったのではないか。