助手席から、父親と同じ風景を見ていました。
車内で、突然に狂言の稽古が始まったり
能楽師狂言方の大藏基誠(おおくらもとなり)さんは、とてもフットワークの軽い人だ。700年を超える狂言の流派「大藏流」の宗家に生まれながら、様々な活動を繰り広げる。狂言とパーティを融合させたkyogen lounge、自身が脚本演出も手掛けた新ジャンルの舞台、ラジオのパーソナリティ。YouTube「狂言師なりちゃんねる」に毎日アップされる動画を拝見すると、その活動ぶりはあまりにも幅広い。とはいえ、本業である狂言の公演は年間100本。日本のあちらこちらを旅する姿は、まさに伝道師である。
「クルマ、家族、そして旅を語ろう」企画で、大藏基誠さんを取材したいと思ったのも、YouTubeやSNSで地方公演にクルマで出かけるのを拝見したからだ。筆者は、その辺りからインタビューをスタートさせた。
山本
先日も、クルマで四国に行かれていましたね。狂言師って、そんなにも旅芸人なんですか?
大藏
徳島までクルマで行きました。全国どこでも公演しますからね。飛行機で行く場合もありますが、装束を積んでいくので、クルマで向かうことが多いです。うちは、衣装を宅急便で送ったりしないので。
山本
それは流儀ですか?
大藏
祖父からの教えで。万が一、届かなかったら舞台ができなくなるだろ、と。それで親父は、衣装を積んだり、弟子を乗せたりというので日産のキャラバンに乗っていました。狂言の発祥の地である奈良、あるいは伊勢あたりの公演には必ずクルマで行くのですが、幼いころからついて行っていましたね。
父親が地方公演に向かうクルマでは、助手席に乗るのが好きだった。5つ上の兄と、その席に座るのを争って。スマホもアイパッドもない時代、見ているのはクルマのウインドウからの景色だけである。
大藏
運転している親父と同じ景色を見ている状況で、何時間も走るわけです。カッコいいクルマと擦れ違って、いいなぁってつぶやいたら、親父も同じクルマを見ている。
山本
男の子って、そういうことありますよね。私も幼いころにクルマに乗っていて、擦れ違うたびに「あれ、何ていうクルマ?」って尋ねていました。
大藏
わかります。夜の高速道路を走っていて、前のクルマのテールランプを見て、親父があれ何だって聞いてきて、「シルビア!」とかって答えていましたよ。父と一緒に乗るクルマも、クルマの旅も好きでした。
運転する父親と、助手席にちょこんと座る息子。どこにでもある、クルマと家族の景色である。そして、大藏さんは、車内での特別な思い出についても話してくれた。
大藏
クルマの中で、急に狂言の稽古が始まることもあります。セリフを覚えて、やり取りを摺りこまれる。どこまで覚えているかを確認して、その場で覚え直したり、謡を歌ったり。
山本
基本は、口から口への伝承ですものね。
大藏
弟子が乗っていくときもありますから、みんなで歌ったりして。翌日の舞台に向かってクルマを走らせていくので、そのセリフを皆で確認し合うとか。
山本
ある意味、車内がリハーサル。私たちは持ちえないシーンですね。
大藏
楽しいですよ。クルマの中での、そういう時間も。
大藏基誠さん自身が運転免許を取得したのは、21歳のときのことだ。その3日後には、奈良公演まで往復の運転をいきなり任されたという。キャラバンの大きなスーパーロングの車内後部をフルフラットに、屋根をポップアップに改造して、流しや台や電子レンジも設置されていた。後に父親から譲り受けたそのキャラバンは、走行距離30万キロまで走ったそうだ。
大藏
最後も、公演からの帰り道の東名高速でした。足柄から鮎沢の辺りでエンジンが止まってしまって、中井パーキングエリアまで何とか走らせました。廃車にする前に、最後だからと思って、ディーラーに行って、もう一回シートに座ったときに涙がボロボロ出ましたよ。
幼きころから助手席で父との時間を過ごし、狂言のセリフを覚え、役者として成長した後も、運転して公演に行く。クルマ、家族、旅をめぐる役者のモノ語りが、浮き上がってくる。
息子とクルマで旅した東海道五十三次。
クルマだと、喋らずとも気持ちが通じる
大藏基誠さんの息子・康誠さんを初めて見たのは、2018年の映画「よあけの焚火」のスクリーンの中だった。父と息子がクルマに乗り、山の稽古場に向かう。古い日本家屋の畳の間で、あるいは雪原のなかで行われる基誠さんと康誠さんの稽古シーンは、ドキュメントと演技の間を揺らぎながら、スクリーンから凛とした濃密な空気感が伝わってきた。じつはそのシーンは、基誠さんの幼き日のエピソードがもとになっているのだという。
大藏
むかし、奥多摩に親父が陶芸の窯を持っていて、そこに、よくクルマで出かけました。
山本
映画と違って、稽古に連れていかれるのが基誠さんだったわけですね。
大藏
しかも、実際には僕が20歳を過ぎたころの話です。狂言に「釣りギツネ」という演目があって、すごく大きな声を出すんですよ。ですから、親父との稽古は奥多摩の山奥と、行き来のクルマの中で。
山本
濃い時間ですね。
大藏
濃いですよ。息子との時間も、クルマの中がけっこう多い。なんだか一緒に乗っているだけで、しゃべらなくてもわかるというか。
2020年のこと、大藏基誠さんは息子の康誠さんとともに東海道五十三次をクルマで旅した。コロナ禍で狂言の公演がすべてなくなってしまい、二人で話をして、世阿弥が流された島として能と縁の深い佐渡島にクルマで向かおうとなったところから、その旅は始まったという。
大藏
佐渡島から金沢に渡り、お寿司屋を食べて、スーパー銭湯を探して寝袋で車中泊。そこから、京都の狂言師である茂山忠三郎さんに会いにクルマを走らせたんです。
山本
そこから延々と、東海道五十三次を東京までの旅を?
大藏
三日かかりました。すべての宿場に石碑があって、それがクルマのライトに照らされて見えてくると、息子と二人で降りて写真を撮りましたよ。東海道を走ってくると、いちばんの山場は箱根。クルマで抜けるのも、やっぱりたいへんだなぁと思いました。
山本
ちょっとした歴史の勉強ですね。舞台の表現に、直接はかかわりがないとしても。
大藏
非常にいい時間でした。クルマの中で無駄な会話はないけれど、息子と気持ちが通じている。「休もうか?」って言ったら、「休もう」ってなるという。
大藏基誠さんが幼かったころと同じように、息子の康誠さんも、やはり助手席に座る。スマホを使ってナビ役をしながら、ブルートゥースを繋いで音楽をかける。ハンドルのスイッチで選曲が変えられるから、「お父さん、この曲は嫌い」と言って基誠さんが次の曲に送ることもある。思えば、基誠さんが幼いころに乗っていた父・彌右衛門さんのクルマでは、カセットテープでビーチボーイズのサーフィンUSAがかかっていたという。
大藏
親父はビーチボーイズと、あとはベンチャーズを聴いていました。僕も、ベンチャーズが好きになって。
山本
お父さまの意外な趣味を垣間見たような感じ。そうなると、クルマの中が特別な空間になりますね。
大藏
そう。クルマでは、音楽を聴こうが、台詞を練習しようが自由ですから。眠たいときに眠れるし、行きたい場所に行けるし。コミュニケーションをとる場所として、クルマは最高の空間です。
この先も地方の公演にクルマで行くかを問うと、「行きます。クルマがいちばんいいです」と迷いなく答える。父、息子、クルマ。車中での音楽が、カセットテープからブルートゥースに、ベンチャーズからいまどきの曲に変わったとしても。700年を超えて狂言を繋いでいく家族のモノ語りは、営々と繋がっている。
プロフィール
大藏基誠(おおくらもとなり)
1979年東京生まれ。狂言方の2大流派のひとつ「大藏流」宗家25世大藏彌右衛門の次男。700年余の伝統を重んじながら、さまざまなジャンルでも活躍している。YouTube「狂言師なりちゃんねる」では、幅広い活動ぶりを動画で発信している。現在の愛車は、トヨタC-HRハイブリッド。
12月13日19時より矢来能楽堂にて試作能「桃太郎」、2023年1月3日13時より観世能楽堂にて「観世会定期能」の公演を予定している。