小さなミニの次に乗りたいのは
大きいクルマか、速いクルマ

山本

マイカーを手に入れたのは最近ですよね?

柳田

クルマを購入したのは2020年。それまでは、友達のクルマに乗るくらいでした。

山本

ずっとバレー選手の生活をしてきているから、そうなりますよね。

柳田

僕は、海外のリーグでの活動も長かったので、クルマを管理するのが難しいなとも思って。2020年に国内リーグに戻って、思い切ってクルマを買いに行きました。

山本

それで、ずっと欲しいと思っていたミニを購入したと。

柳田

そうです。もう、ミニしか考えてなかったです。

山本

ミニでも、クロスオーバーを選んだ。他にも候補はありましたか?

柳田

ありました。ただ、クロスオーバーのサイズがいちばん大きいということが決め手になりました。どうしても、僕は体が大きいので。いちおう、クラブマンやクーパーも乗ってみたのですが、自分には小さく感じて。クロスオーバーはSUVなのに大き過ぎず、足元が広めになっているので乗りやすいです。

山本

私もミニのクロスオーバーに何度か乗ったことがありますが、いいクルマですよね。

柳田

乗ってみて、運転席が意外と広いなと思って、買いたい気持ちが強くなりました。そこだけが不安要素だったのですが、展示されていたクルマの運転席に乗り込んでみて、その場で「このクルマをください!」となりました。

山本

そのときの展示車もグレーだったんですか?

柳田

はい。色もカッコイイと思ったので、迷いませんでした。

山本

ミニクロスオーバーじゃないクルマで、乗ってみたいクルマはありますか?

柳田

自分のクルマを買ってから興味が出始めて、いろいろなクルマに乗りたくなっています。いまは、キャデラックエスカレード。デカ過ぎるけどカッコイイなぁと思って、走っているとずっと目で追ってしまいます。

山本

ミニは、デザインが好きなのかな。それこそ、大学の後輩のクルマに乗ったときから気にいっていたわけだから。

柳田

そうですね。乗せてもらった時から、「良いね!」と言っていましたから。

山本

それ以外の車種の候補はありますか?

柳田

僕はヨーロッパに長くいたので、やっぱりポルシェには乗りたい。

山本

ドイツのアウトバーンは、ポルシェやBMWが、たくさん高速で走っていますよね。

山本

クルマを買ったのは2020年。ヨーロッパから帰国して、再びサントリーサンバーズに所属していた時代ですね。チームの本拠地である大阪をクルマで走って、どうでしたか?

柳田

チーム本拠地の箕面は大阪の北部で比較的静かなところということもあって、運転もしやすかったので、練習もクルマで通っていました。ただ、大阪中心の梅田とかにクルマで行ってしまうと、けっこう運転が難しかったなぁ。

山本

梅田の御堂筋などは、車線も多いですからね。郊外の、六甲山や海のほうにドライブに行ったりしなかったですか?

柳田

行っていましたよ。クルマで淡路島までハンバーガーを食べに行ったり、香川に旅行に行ったり。旅行のときには、ミニにワンちゃんも乗せて連れていきました。

山本

大阪から四国や瀬戸内に足を伸ばすと、いいドライブコースがありますよね。

柳田

2022年から愛知県のジェイテクトスティングスに所属したときには、名古屋の街でも乗っていました。愛知から軽井沢まで、クルマで出かけたこともあります。途中の山の間を走っているときの風景がきれいで、また行きたいなと思っています。

山本

所属するチームによって住む街が変わると、いろいろなところに行けますね。

柳田

電車で行くよりも、道も覚えられるし、ドライブ自体がけっこう好きなので。

山本

いまクルマに乗る頻度はどのぐらいですか?

柳田

そうですね。練習がある日はクルマなので、週に3日は乗っています。

山本

そうか、シーズン中も練習あるんですよね。

柳田

僕の場合は、東京グレートベアーズに移籍するときに、クルマで練習場に行きやすい場所で住むところを探しました。クルマでラジオをかけて練習に向かう感じです。

山本

家族とクルマで出かけるときには、ラジオをかけたり、話をしたり?

柳田

けっこう、話しますね。クルマの中では、改まった話になるときも多い。長いドライブになればなるほど、将来の話をしたりします。

山本

それは、おもしろい話だなぁ。クルマで、自分のスイッチが入るのかな?

柳田

なぜですかね。ドライブをしていると、「この前の話なんだけど」と、頑張って自分の思いを改めて伝えたりすることが多い。

山本

運転していて、相手の顔を見ていないから言いやすいのかな。

いずれ来るセカンドキャリアでも
新しいスタイルを探していきたい

山本

今回のインタビューで聞きたかったのですが、ベテランになってきて、ネーションズリーグの解説など、バレーボール競技を盛り上げる役割を自ら担われていかれるのかなと思いますが、いま描いているこれからのキャリアプランはどんな感じですか。

柳田

試合中継の解説者は自分でやりたいと思ってやれるものじゃないので、いまオファーいただけている解説が続けられたらいいなと思っています。あとは、やはり次の世代の育成。自分でバレーのクリニックを開催したり、何ができるかをいま考え始めたところです。

山本

そうか。むかしのバレーボールは社会人リーグでしたよね。いまは、海外のリーグに行く選手も含めて、プロのバレーボール選手が増えてきたので、社会人リーグのころとはセカンドキャリアが違ってきますよね。

柳田

そうです。いままさに、次のキャリアをどう描いていくかを考えているところです。

山本

日本バレーボール協会の中に入って、コーチングスタッフをやったり、今のクラブのコーチやったりの可能性もありますよね。

柳田

指導者になるのは、もちろん興味があります。

山本

それはトップリーグでやりたい? それとも、もっと若い高校生や大学生に?

柳田

どの年齢にということはこだわっていなくて、僕自身のスキルが伝えられる場所があればいいなと思っています。ただ、指導者としてひとつのチームに所属していると、拘束力が強い。それは、選手にとっては良いのですが、セカンドキャリアでとなると、他にもやりたいことがでてくる。可能であるならば、このチームにはこういった指導をして、また違う世代のカテゴリーには違う役割を果たすという、フレキシブルなやり方ができないかなと考えています。例えば、僕の得意なプレーであるサーブを教えて、また他の人がレシーブを教えるというように、スキルごとのコーチがいるといいなと思います。

山本

そのような仕組みは、今のところはないですか?

柳田

専属契約がほとんどです。おそらく、チームからは専属契約のオファーをいただく可能性があると思うので、自分のイメージを伝えながら、いくつかを並行して、外部コーチをやるといったやり方もあるのかなと。

山本

いまスポーツ以外の仕事では、そうした働き方も増えていますよね。

柳田

ひとつのチームだけではなくて、バレーボール全体のレベルの底上げに関わることができたらいいなと思います。

山本

それは、柳田選手がバレーボールを高い技術で続けてきたからこそですね。仮に選手を辞めたとしても、その価値を伝えていけますね。

山本

バレーボールでもヨーロッパで活躍する選手が増えましたよね。それは、代理人が動いてくれているとか、なにかきっかけがあるのですか? もちろん、シンプルに日本人選手のレベルが上がっているのはあると思うのですが。

柳田

おそらく、選手としてのレベルアップを目指してというのがいちばん大きい。ヨーロッパのリーグだと、大型の選手も多いですし。僕がヨーロッパに行ったころは、自分を含めて日本人選手は2人か3人ぐらいしかいなかった。それが、今はもうヨーロッパのリーグの経験者が10人くらいいる。女子の選手でもけっこう増えてきましたから。

山本

そうか。自分のレベルを上げたいというシンプルな理由。

柳田

日本代表で戦い続けたい目標があったので、海外のチームの練習のレベルは魅力的に映りました。

山本

いまの日本代表チームのレベルはどうですか?

柳田

どうしても、ひいき目になってしまいますが、今までのバレーボールの歴史上、いちばんレベルも期待度も高いと思います。ちょっと異次元のところにいった感じ。それはやっぱり、多くの選手がヨーロッパに行ったりして、レベルが上がってきている。代表チームでいきなり海外の選手と戦うとなると、当初、僕は「難しいなぁ」と思いながらやっていましたが、いまは、普段から同じ土俵で戦っている選手もいる。また、若い選手も出てきていて、うまく融合されたチームになっていると思います。

山本

バレーボールも、海外の選手はぜんぜん想像しないプレーをしたりするのかな?

柳田

例えば、ブロックの高さだったり、サーブの重さだったり。こっちに飛んでくると思っても、その先にボールが来る感覚。僕も、ヨーロッパでそれをすごく感じました。

山本

それは、やっていないと、国際試合で、いきなりはできないですね。

柳田

ですから、いまの若い選手も海外で、どんどん経験を積んだらいいと思います。

山本

そういった意味では、柳田選手はその先鞭をつけましたね。

柳田

あとは、これを続けていけるか。パリ五輪で終わりじゃないので、僕だけではなくて、いろいろな選手も一緒に考えて、それが全体の課題だと思います。そして、この後に続く子供たちの未来も考えないといけない。

山本

それは大切ですね。

柳田

僕も、春高バレーで優勝したときには、バレーボール選手で生活していくイメージが持てなかった。それで辞めていたとしたら、ちょっと残念じゃないですか。バレーボールがスポーツ産業として成立していくようになったらいいなと思います。

山本

海外に行ったり、セカンドキャリアを切り開いたり、ある種、柳田選手は第一世代のような役割を果たしているんですね。

柳田

バレーボールを、大きなチャンスがあるよと言えるスポーツにしたいです。

キャプテンとして春高バレーで優勝、Vリーグで最優秀新人賞、ドイツやポーランドでプロ選手として活躍、そして日本代表のキャプテン。柳田将洋選手は、誰もがうらやむような華々しいキャリアを重ねてきたように見える。本人にそれを問うと、「シンプルにプレーのレベルを上げていきたかったんです」と淡々と語る。

日本代表を外れ、いま、次のキャリアプランを見据え始めている。「この後に続く子供たちが、バレーボールには夢があると思えるようにしていきたい」。自分の道を自分自身で切り拓いてきたように見えていたが、ある意味でそれは、第一世代として次の世代への贈り物だったのかもしれない。7月6日に誕生日を迎えると、32歳。また新しい道に向けて、クルマを走らせ続けている。

柳田将洋(やなぎだまさひろ)

プロバレーボール選手(V.LEAGUE 東京グレートベアーズ所属)。1992 年 7 月 6 日、東京都出身。ポジションはアウトサイドヒッター。 東洋高等学校在学中の 2010 年 3 月 第 41 回全国高等学校バレーボール選抜優 勝大会に主将として出場し優勝を果たし、2011 年慶応義塾大学へ進学。 2013 年に全日本メンバーに登録。2014 年 10月 Ⅴプレミアリーグ・サントリーサン バ―ズに入団。2015/2016 シーズンレギュラーラウンドでは全試合に出場し、最優 秀新人賞に輝いた。2017 年 4 月 サントリーサンバ―ズを退団し、プロ転向を発表。 2017 年 5 月 プロバレーボール選手として、ドイツ・Volleyball Bisons Bühl(バレーボール・バイソン・ビュール)と契約締結。2018 年 ポーランド 1 部リーグ・Cuprum Lubin(クプルム・ルビン)にてプレー。2018 年 4 月 日本代表キャプテン就任。2019 年 ドイツ・United Volleys(ユナイテッド・バレーズ)契約締結。2020 年V.LEAGUE サントリーサンバーズに 3 年ぶりに復帰し、サントリーサンバーズの 2 連覇に貢献し、自身も 2 年連続ベスト 6 に輝いた。2022 年 V.LEAGUE ジェ イテクト STINGS契約締結。 2023 年 V.LEAGUE 東京グレートベアーズ契約締結。第 19 回アジア競技大会(2023/杭州)で主将を務め、銅メダルを 獲得。最近では、メディアにも多数出演。

「クルマ、家族、そして旅を語ろう」
バレーボール選手 柳田将洋【前編】

クルマはその人を物語る。どんなクルマを選んで、どこに向かって走らせるのか。インタビューでお送りするこのシリーズ、5回目のゲストは、バレーボール選手の柳田将洋さん。主将として春高バレーを制して以来、エリートコースを歩みつづけてきた柳田さんは、プロ選手として海外チームに所属していたので、クルマを所有してこなかったという。再び日本での選手生活をスタートするにあたって、ミニ クロスオーバーを購入。 スポーツ選手は、クルマのなかでどのように過ごしているのだろうか。服飾ジャーナリストの山本晃弘がインタビューした。
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