ゴルフ、ヴァリアント、そしてレヴォーグ。
これらの愛車を選んできた理由は!?

山本

最初に買ったクルマは何ですか?

飯田

19歳で買った、ゴルフGTの中古車です。父にも半分くらいお金を出してもらいましたが、それまで貯めていたお年玉で買いました。

山本

そのとき、なぜゴルフを選んだの?

飯田

父がゴルフ ヴァリアント乗っていたので。同じディーラーから買ったほうが、もし何かあった場合にも安心できますからね。

山本

次に乗り換えたクルマは?

飯田

次に乗り換えたのは、白のゴルフ ヴァリアントです。ゴルフGTは大好きだったのですが、大学を卒業して2年くらい経つまで乗って、走行距離が15万キロくらいになったので。

山本

ゴルフは、試合のためにクルマであちらこちらに行くからね。

飯田

ゴルフGTは走行距離2~3万キロの中古で購入して、10万キロ以上走りましたね。エンジントラブルのランプがついて不安になったのでディーラーに行って、その日すぐにヴァリアントに乗り換えました。

山本

そのゴルフ ヴァリアントには、いつまで乗っていたのですか?

飯田

4年間乗って、それも10万キロくらい走りましたね。

山本

ゴルフを仕事にすると、ティーチングプロにしても、ツアープロにしても、トラックの運転手と同じぐらいクルマに乗ると聞きましたが、どんな感じなのかな。

飯田

そうですね。家族に運転してもらって移動する選手もいますが、私は自分で運転して1人で移動しています。試合ごとに荷物を入れ替えたりしなくていいという楽さが便利です。キャディバッグとシューズを入れて、キャリーケースも持って、そのうえ私は腰痛があるので、マットレスと枕もクルマに積んで持っていきます。

山本

ゴルフ ヴァリアントからスバル レヴォーグに乗り換えたきっかけはなんですか? 以前から、スバルが好きだったのでしょうか。

飯田

あまり話したことがないのですが、マンガの「イニシャルD」が大好きで。主人公が乗っているのはトヨタの「ハチロク」ですが、私は後半に出てくるインプレッサにはまりました。それでスバル好きになって、父と一緒にモーターショーを見に行ったりしました。その後、2019年にBSのテレビ番組「ゴルフサバイバル」でチャンピオンになったのがきっかけで、ご縁をいただき、幸運にも、番組で流れるスバルのCMに出演させてもらったことがあります。

山本

レヴォーグは、スバルの名車レガシィツーリングワゴンの後継車ですものね。

飯田

自分がゴルフをするようになったら、インプレッサは荷物を積むには小さいなと思って。でも、いつかはスバルに乗りたいなぁと思っていました。私がスバル好きだからという理由で、父がレガシィツーリングワゴンを買って乗ってくれていた時期があって。ですから、自分で免許を取って人生で最初に運転したクルマがスバルのレガシィ。

山本

いまの愛車レヴォーグを選んでみて、乗り味はどうですか?

飯田

ずっとFFのクルマに乗ってきて、初めての4駆なので、すごく運転しやすいです。FFだと体が引っ張られる感じがありましたが、4駆だと背中を押してくれるみたいで、体に負担がないように感じます。まるで、新幹線に乗っているみたいに乗りやすい。

山本

後ろのトランクスペースはどう?

飯田

それもすごくいいです。ゴルフGTでは、シートを倒して縦にキャディバッグを乗せていました。ゴルフ ヴァリアントはGTよりトランクが広いから横向きにキャディバッグが乗るのですが、ドライバーを抜かないとダメなサイズ。それで、練習のときにドライバーをクルマに忘れてしまって、取りに帰ったりしたこともありました(笑)

山本

その意味では、いま乗っているレヴォーグは、ドライバーを抜かなくてもキャディバッグが横向きにストンと乗るサイズでいいですね。

飯田

少し余裕があるので、ストレスフリーです。縦向きにキャディバッグを乗せていると、クルマの外から見えて、盗難の心配もありますから。ディーラーさんに尋ねたところ、レヴォーグはキャディバッグを4つ乗せて、4人乗れるそうです。

山本

いまも、腰痛を防ぐマットレスや枕もクルマに積んでいるの?

飯田

遠征先のベッドで腰痛が出るので、マットレスも乗せていってホテルで使っています。

山本

けっこう遠いところの試合も、自分で運転して行きますか?

飯田

腰痛持ちになってからは飛行機も使いますが、クルマで行った場所でいちばん遠かったのは岡山まで。兵庫にも、運転して試合に行ったこともありますよ。

山本

すごいですね。ラウンドして疲れた体で、また運転して移動するわけですからタフですね。それを考えると、乗り心地もクルマを選ぶときのポイントになるのかな。

飯田

乗り心地は、重要。最初にゴルフを選んだのは、シートの座り心地がいいからです。2台目として買ったヴァリアントは、クルーズコントロールの追従機能がついていました。自分ひとりで運転していても、ナビが一緒に乗ってくれているような安心感があって、移動が少し楽になりましたよ。その機能は、いま乗っているレヴォーグにもついています。

父とクルマで出かけた思い出の数々。
レーシングカートで一緒に走ったり

山本

子供のころ、最初に乗ったクルマを覚えていますか?

飯田

父が運転するホンダのステップワゴン。後部座席の広いスペースを独占して、歩き回っていた記憶があります。次に父が乗っていたのはボンゴブレンディ。完全に私のために選んだと言っていました。ワンボックスカーの上にポップアップする屋根がついていて、いつでもどこでもクルマでキャンプ状態(笑)

山本

いろいろなところに出かけたでしょう?

飯田

父はレーシングカートが趣味で、桶川とかにまで走りに行っていて。レースをしている間に、私はブレンディの屋根で宿題をしたり、昼寝をしたり。一緒にプールに行って、更衣室が分かれるのが怖いから、ボンゴブレンディのテントの中で着替えたりしていました。

山本

クルマの思い出が、いっぱいありますね。

飯田

あります、あります。その後、父は赤いマツダ アテンザに乗り換えて。マニュアルのクルマで、渋滞したときに運転で苦労している姿を覚えています。

山本

ゴルファーの飯田さんが、クルマがそんなに好きだとは知らなかったですよ。

飯田

父は子供のころはF1レーサーになりたかったくらいで、ドライバーのフェルナルド・アロンソの大ファン。私はセバスチャン・ベッテルのファンで、いつもテレビで応援していました。私もカートのマイヘルメットを持っていて、去年の暮も父とレースをして、コンマ何秒かで負けちゃいました。

山本

飯田さんも、ドライビングテクニックがあるのかな?

飯田

カーブの曲がり方は、父がカートを走らせているのを見て、感覚的に学んだんですかね。

山本

じゃあ、もともと運動神経がいいんだ。

飯田

感覚はいいかもしれないのですが、忘れちゃって、毎回、新しくなってしまいます。お父さんには、「覚えがよかったら、もっとゴルフも上手くなれたよ」って言われたり(笑)

山本

それはいいところでもあって、プレーの悩みは、すぐに忘れられるでしょう。

飯田

確かに、切り替えができて前向きなのはいいところです。でも、ゴルフには大切なことがあって、同じミスをしてはダメなんです。また右に外したとか、同じラフに入れたとか。

山本

お父さんと仲良しだね。

飯田

そうですね。週末には、よくクルマで遊びに連れていってくれました。

山本

お父さんがカート競技をやっていたというのは、種目は違うけれど、コンペティティブな競技に挑んでいくマインドを継いでいるんじゃないですか?

飯田

父はスポーツが好きで、大学ではボクシングをやって、いまでもジムに通っています。スポーツ選手にはなりませんでしたが、元気な人で、体力がありますね。

山本

ゴルフは、飯田さんが小さいときから始めたの?

飯田

私が生まれたときに、自分ができなかったスポーツをさせたいと考えたようですが、娘にボクシングはさせられない。それで個人競技の球技がいいとなって、最初はテニスをやっていたんです。そのころ、ゴルファーの宮里藍さんが活躍し始めて、テニスが上手くなるにもゴルフがいいと言われて、父はゴルフをしないのに、ゴルフを始めました。

山本

初めから、お父さんは、ゆくゆくはプロになってほしいと思っていたのかな?

飯田

どの競技を選ぶにしても、スポーツを頑張ってほしいと思っていたようです。

試合でバーディをとったときの歓声が、
ゴルフを続けるモチベーションになる。

山本

ゴルフをやるようになってから、お父さんのクルマでレッスンに行ったりしていたのかな。

飯田

そうです。父が大学時代に馴染みがあった埼玉県のほうに練習に行っていました。

山本

そういうときは、車中でゴルフの話をしたりするのかな?

飯田

ゴルフを始めたばかりのころは、私は後部座席で寝ていましたね。父は運転しながら、いろいろな話をしてくれましたよ。私が競技に出るようになってからは、ゴルフの話もするようになりました。

山本

具体的なプレーのアドバイスとかもしてくれますか?

飯田

それはないです。コーチもいなくて、大学を出るまでは、ほぼ独学です。

山本

そうか。通っていた日大はゴルフの強豪校だけど、コーチがいるわけじゃないんですね。

飯田

先輩にプロがいて、強い選手もいますが、コーチといった感じではありません。

山本

今はコーチについているの?

飯田

今もコーチはいないです。いちばん最初にジュニアのレッスンに行って、少しコーチについたくらいで、中学から大学までは一人でやっていました。大学を卒業したあとに何人かコーチについたのですが、今はまた一人でやっています。

山本

今年も秋にツアープロのテストがありますよね。

飯田

先日、一次テストは通過しました。ちょっとケガがあって出遅れていたのですが、治療などでいろいろな方に助けてもらって、調子が戻ってきました。

山本

頑張って欲しいなぁ。ティーチングプロの資格を取って、日本女子プロゴルフ協会の会員になったことで、知識が入って、役に立ちましたか?

飯田

これまでは感覚だけでゴルフをしてきたので、文章になったゴルフ知識を初めて学びました。ティーチングプロの講習では、ゴルフを始める人に教えるための基本的な理論なので、きちんと覚えてくださいと言われました。私は10年以上ゴルフをやってきたのですが、改めて理論を聞いて、あぁ、こうなのかとわかったこともあります。例えば、ドライバーで飛距離を飛ばすよりも確実に真っすぐ飛ぶ打ち方。選手としての自分に合うかどうかはわかりませんが、基本として帰ってこられます。

山本

スコアを縮めていくためには重要ですよね。

飯田

アマチュアはドライバーで飛ばしたいと思いがちですが、ゴルフはターゲットスポーツですから、まっすぐ飛ばすのは重要。あとは、傾斜地での打ち方の理論がわかりました。

山本

同世代や近い世代に、これだけ優秀な選手がいて女子ゴルフに注目が集まっていますね。

飯田

特に日本では女子ゴルフに注目が集まっていて、多くの観客の方に見てもらえるのはありがたいです。「ナイスショット!」と声を掛けてもらえると嬉しいですよ。2022年に日本女子オープンゴルフ選手権に出て、成績は良くなかったのですが、18番ホールでバーディをとったんです。そのときに、ウォーッって地鳴りのような歓声があがって、自分のバーディをこんなに多くの人が喜んでくれるんだと思って、また頑張ろうと思えました。

山本

飯田選手としては、何がいいと、スコアがよくなるのかな?

飯田

私はパットです。パットさえ入れば、スコアがまとまります。狙ったところには打てるのですが、細かい傾斜やラインが読みにくいグリーンでは迷ってしまうことがあって、そこを改善していきたいなと思っています。

山本

では、パーオン率はいいんですね。

飯田

パーオン率はそんなに悪くないし、アプローチも苦手ではありません。

山本

そういうのを、運転しながら考えたりしますか?プレーのイメージトレーニングとか。

飯田

普段は、あまり考えないです。ただ、ケガをしてギリギリまで治療していて練習できていないときには、運転中にどんなコースだったかを思い出しながら向かうことはあります。

山本

ツアープロのテスト、レベルが上がっているのは、競技人口が増えているからですか?

飯田

競技人口も増えているし、その年に通らなくても、レベルの高い人が次の年に挑むから、すごい戦いになっています。

山本

大事な試合に、自分のピークを合わせるのも難しいですよね。

飯田

ゴルフは、試合によってコースが変わるのがたいへんです。クルマでも、コンクリートの道路が得意なクルマもあれば、ダートが得意なクルマがあるのと同じで、ゴルフ選手によってコースの得意不得意がありますから。ドローボールを打つ選手に向くコースもあれば、フェードボールの選手に向いているコースもあります。

山本

プロテストの最終テスト20位タイまでしか合格しない。ここ数年は約600名が受験していて、3%しかプロになれない。東大に合格するよりも難しいと言われていますよね。

飯田

受かってすぐの年に、ツアーの試合で優勝する選手もいます。プロテストがスタートラインではないくらいの高いレベルになっています。

山本

飯田選手は、今年でテストへの挑戦は何回目ですか?

飯田

私は21歳から受けていて、今年で8回目の挑戦です。

山本

応援していますよ。

飯田

ありがとうございます。頑張ります。

飯田真梨選手のキラキラした微笑の奥には、技術を研鑽し、ケガを克服しながらプロテストにチャレンジし続けるタフな気持ちが秘められている。幼いころからクルマであちらこちらに連れて行ってくれた父親は、レーシングドライバーになる夢を持っていた話をしてくれたことがある。彼女が女子プロゴルファーになる挑戦を粘り強く続けているのは、競技は違えど、父が抱いていた夢の続きを追いかけているのかもしれない。クルマ好きも、父譲り。白いスバル レヴォーグにキャディバッグを詰め込んで、今日もゴルフの練習に向かう。

飯田真梨(いいだまり)

1995年東京生まれ。習っていたテニスに役立つと父に言われて、12歳からゴルフを始める。ゴルフの名門である日大では一年生のときから団体戦にレギュラーで出場し、2年生のときに全日本大学対抗戦の優勝に貢献。同年、東京都アマチュア選手権2位。ゴルフ部は3年で退部し、4年生となった2017年からプロテストへの挑戦を開始。2018年、2019年、2021年度は最終テストまで進んでいる。2019年シーズンには日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)のステップアップツアー19試合、トップツアー1試合に出場。2020年から「DSPE」(ツアープロを目指す女子ゴルファーを支援する団体)のメンバーとなり、月例競技会で技術を磨きながら、2023年1月には、ティーチングプロA級としてJLPGAに入会。面接、一般教養、ルールテスト、実技テスト、筆記テストを受けるなどで、3年を要した。ティーチングプロとしてJLPGAの試合に出ることも可能だが、現在もプロテスト合格を目指している。

 

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