身長の高いバレーボール選手が
小さなクルマを選んだ理由は!?
山本
柳田選手はミニに乗っていますが、このクルマを選んだ理由を教えてください。
柳田
大学4年生のときにバレーの仲間と木更津の方面にドライブに行きまして、バレー部の後輩がミニ・クーパーに乗ってきたんです。小さくて、おしゃれでかわいいなと思って。自分でカスタムもできるし、レトロな感じのデザインが良い。
山本
そのとき後輩が乗っていたミニは、カスタムされていたんですか?
柳田
はい。後輩自身のクルマではなく、親御さんのクルマを借りて乗ってきたのですが、スピードメーターなど、いろいろなところをカスタムしていました。それがかわいいと思って、それからミニを買いたいなとずっと思っていました。
山本
柳田選手は慶応大学の湘南藤沢キャンパス、いわゆるSFCの出身。SFCは最寄り駅からも遠いから、クルマ通学の学生も多いんでしょうか?
柳田
僕は日吉に住んでいたので、電車に乗って横浜経由で湘南台まで、そこからはバスです。キャンパスの場所柄、クルマ通学の学生も多くて、学生同士で相乗りしている人もいました。ただ自分自身は、クルマを持つとなると、駐車場代などの維持費もかかるから難しくて。クルマを持っている人はうらやましかったです。
山本
子供の頃からバレーをされていますが、ご両親の影響で始めたのかな?
柳田
母親がママさんバレーのチームでやっていて、練習や試合にいつもついて行っていました。
山本
お母さまは、トップリーグに行けるくらいの優秀な選手だったのですか?
柳田
いや、そこまでの選手ではないです。趣味として、友人と週に二、三回やる程度。父もバレーをやっていて、2人とも身長が大きかったんです。
山本
そのころ、家族で乗っていたのはどんなクルマでしたか?
柳田
普通のセダンです。車種は覚えていないのですが、クルマのラジオでa-haの曲「Take On Me」がかかっていたのを覚えています。それほど大きなクルマではありませんでしたが、兄弟で乗って、母親に大人しくするように注意されていました。
山本
柳田選手の世代が子どものころは、大きいワンボックスカーに乗っていた人が多い。その時代に柳田家は、大きくないセダンを選び、家族で乗っていたんですね。家族みんなで身体を縮めて乗っていた姿を想像してしまいます。
柳田
その後、両親がクルマを手放して、電車でのお出かけが多くなりました。ですから、子供のときに乗ったクルマの記憶は自家用車ではなく、小学校バレーの遠征のときに、チームの友達のお父さんが運転するクルマ。東京から静岡まで遠征することもありました。
山本
小学生でも、レベルが高いとそんな遠くまで行くんですね。
柳田
いまは、愛知あたりまでの遠征もあるらしいです。そんなときにクルマがないと交通費もかかってしまうので、親御さんのクルマに分乗して練習試合に出かける。
山本
それって、けっこう楽しいんじゃないですか?
柳田
楽しかったですね、クルマでの遠征は。スポーツタイプのクルマを持っている親御さんがいて、みんなそれに乗りたくて争っていました。ただ、僕は子どものころクルマ酔いが激しかったので、スポーツ車は避けていましたが、どのクルマに乗るか、毎回楽しみにしていました。
山本
どのクルマに乗るかもあるけれど、仲の良い友達と同じクルマに乗りたいじゃないですか。その争いは、なかったですか?
柳田
僕はみんなと仲が良かったので、誰と乗るということよりも、どのクルマに乗れるかが気になっていました。ただ、監督が厳しかったので、一緒に乗るとクルマで寝られないなと思っていました。
山本
クルマで向かう車中で、バレーの作戦会議をすることはありましたか?
柳田
それはないですね。リラックスして寝ている普通の小学生でした。大学生のときも、バレーボール選手になってからも、クルマでの移動中がいちばんリラックスできます。試合の会場に着いたら、すぐに準備しなきゃいけないので、東京都内の試合の場合には自分でミニを運転して向かいますが、そのときも車内ではリラックスしています。
山本
バレーは地方での試合も多いので、バス移動もありますか?
柳田
大型バスでの移動は、けっこうあります。
山本
小学校のときから、クルマでバレーの試合に向かうスタイルが変わらないですね。
柳田
バレー選手になってからは、遠方で開催される試合の場合には最寄り駅まで新幹線で移動して、そこからバスで会場入りするパターンもあります。
山本
クルマの中でリラックスするのは、スポーツ選手ならではですね。そんなとき、車中でどう過ごしているのでしょう? 音楽を聞いていたり、ゲームをしていたり?
柳田
基本的には音楽を聞いています。洋楽系のプレイリストをかけたり、自分が運転するクルマではラジオをかけたり。
山本
遠征のバスでいつも座る席は、誰の隣と、決まっていますか? 例えば、後ろから二番目は先輩の席だから座らないでおこうとか。
柳田
座る位置が決まっているわけではないですが、僕はいつも後ろから3列目くらい。若い選手は、空いている席を埋めるように座っていきます。スタッフが多くてバス内が混んでいたら、二人掛けシートに一人ではなくて二人で座っています。確かに、年上の選手が後ろを陣取っていますね。
山本
チームでバス移動するのは、柳田選手が所属していたドイツやポーランドのリーグの場合も同じですか?
柳田
そうですね。海外だと、ほぼすべてバス移動。500キロ離れた都市での試合にもバス移動で、それ以外の交通手段は使いません。経費を削減するために、それぞれのチームがバスを持っています。ドイツのリーグに所属していたときは、アルプスの山々を越えて十時間以上かけて試合に行くときもありました。そういうのも、楽しかったです。
山本
ヨーロッパの山道をバス移動するのはきついでしょう?
柳田
確かに、タフな生活でしたね。でも景色が綺麗で、ヨーロッパは都市によって街並も違いますし、いい経験ができたと思っています。
後編に続く(6月27日公開)
柳田将洋(やなぎだまさひろ)
プロバレーボール選手(V.LEAGUE 東京グレートベアーズ所属)。1992 年 7 月 6 日、東京都出身。ポジションはアウトサイドヒッター。 東洋高等学校在学中の 2010 年 3 月 第 41 回全国高等学校バレーボール選抜優 勝大会に主将として出場し優勝を果たし、2011 年慶応義塾大学へ進学。 2013 年に全日本メンバーに登録。2014 年 10月 Ⅴプレミアリーグ・サントリーサン バ―ズに入団。2015/2016 シーズンレギュラーラウンドでは全試合に出場し、最優 秀新人賞に輝いた。2017 年 4 月 サントリーサンバ―ズを退団し、プロ転向を発表。 2017 年 5 月 プロバレーボール選手として、ドイツ・Volleyball Bisons Bühl(バレーボール・バイソン・ビュール)と契約締結。2018 年 ポーランド 1 部リーグ・Cuprum Lubin(クプルム・ルビン)にてプレー。2018 年 4 月 日本代表キャプテン就任。2019 年 ドイツ・United Volleys(ユナイテッド・バレーズ)契約締結。2020 年V.LEAGUE サントリーサンバーズに 3 年ぶりに復帰し、サントリーサンバーズの 2 連覇に貢献し、自身も 2 年連続ベスト 6 に輝いた。2022 年 V.LEAGUE ジェ イテクト STINGS契約締結。 2023 年 V.LEAGUE 東京グレートベアーズ契約締結。第 19 回アジア競技大会(2023/杭州)で主将を務め、銅メダルを 獲得。最近では、メディアにも多数出演。